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ひとりごと

ぐだぐだと思ったことを思ったままに

殺風景


八乙女光くん主演の殺風景。5月31日お昼の公演を観てきました。今回は難しい内容だと聞いていたのでネタバレをひとつだけ、観に行かれた方の感想を読んでから行きました。それでも、脳内フル回転させてもまだ追いついていません。だけど観終わってすぐのいま、思ったことをまとめてみようと思います。

舞台は福岡県大牟田市。炭鉱で栄えた場所。家族構成として菊池家の父クニオと母マリ、長男ナオヤと次男ミノル。父クニオはヤクザをやっていてだからヤクザ一家。

舞台は平成と昭和を行き来する構成になっていて八乙女くんは平成では次男ミノル、昭和では父クニオを演じている。

物語はある人通りの少ない場所で男を銃殺するシーンから始まる。長男ナオヤは家庭を持っているという理由から八乙女くん演じる次男ミノルが銃殺するのだが観てる側にはなぜその男が殺されるのかわからない。よって理由はわからないが男が銃殺されるというのがこの舞台の幕開けなわけである。
菊池家は借金に借金を重ね電話代も払えないほどに生活は切迫していた。これは舞台中盤で言われるのだが、菊池家の父クニオは義理と人情で、強いものが勝ち残って行くということをポリシーに生きている人間である。しかし、必ずしも強いものだけが勝ち残れるというわけではなく強いが殺されてしまったものもたくさんいる。クニオの仲間も殺され、それが原因で下の人たちに小遣いをやることができず一時築いた天下の菊池家みたいなもの(上手い言い回しが見つからなくて申し訳ない)が無くなってしまい借金まみれになってしまったというわけである。
そんな菊池家に母マリがある話を持ち込んでくる。隣人(母と息子2人の3人家族、金貸し)が信用金庫から分厚い封筒を持って出てきたのを見たというのだ。マリと隣人の母は知り合いでありマリが土地の話をふっかけたところ隣人宅に2000万円があることが発覚した。その金を盗もうというのだ。
しかし事件(隣人家族3人とたまたま一緒にいた1人の計4人の殺人事件)は発覚し、家族全員は警察のお世話になることになる。そこで父クニオは全部自分1人がやったの一点張り、母マリはすみませんすみませんと泣きじゃくり、長男ナオヤは自分はやっていないから無罪である、次男ミノルは1人は自分がやったと言っていて家族の調書がてんでばらばらなのである。警察は事件の真相を探ろうと動き始める。父クニオの事情聴取の時に炭鉱で働いている姿の八乙女が出てきてお前は俺だ、俺はお前だ、の言葉とともに舞台が昭和に移る。ここからは八乙女くんが父クニオの青年時代を演じる。
クニオは炭鉱で働き始め、そこで知り合った仲間と4人でキャバレーに足を運ぶ。そこで働いていた女の子が後にクニオの妻となるマリである。そのキャバレーにヤクザ(馬場)と女が現れる。その女がクニオの母親であった、というところで一幕が終わる。
二幕は平成のシーンから始まる。隣人の息子の自転車を長男ナオヤと次男ミノルが半ば強引に奪いその後捨てたということで母親が文句をつけに来ていたのである。この家族は金貸しをしているのだが菊池家にも貸していてそれがいま8000万円まで膨らんでいるということも言う、(完全に主観でしかないけど)いわゆるモンスターペアレンツのような性格の人間であった。 この人が帰った後で母マリがもう無理だと、先ほどの計画を細かく話し、今夜決行すると言い始める。そんなこんなで(ここら辺物語の記憶が曖昧すぎて申し訳ない)昭和にもどり、クニオとマリの結婚が決まり、キャバレー時代の店員仲間と炭鉱仲間と桜の木の下でパーティをしているシーンに移る。しかしそこにいたクニオの母親が結婚には反対だとわめき(これもまた主観でしかないがこの母親もどうしようもない落ちぶれた人間)さらにそこにクニオの炭鉱仲間の1人であった人間がヤクザとなって、キャバレーでクニオの母親と一緒に現れたヤクザ(馬場)とともに顔を出す。マリが呼んだとのことだったが彼らの目的はクニオのもう1人の炭鉱仲間である安西と、事務所の金庫から金を盗んだということで話をつけることだったのである。馬場が銃のロシアンルーレット(6発あるうち1発を残して銃弾を抜きそれをこめかみに向けて発砲しその1発に当たったひとが死ぬというやつ)をすると言い始め馬場と安西でそれをやる。馬場、安西、馬場、安西と不発が続き次馬場というところで酔っているクニオの母親が自分のこめかみを撃ちそれが当たりでクニオの母親は死んでしまう。
その後舞台は平成に戻りもう一度冒頭の人殺しのシーンが繰り返される。実は殺されていたのは隣人の息子で次男ミノルとも昔から仲の良かった人間であった。冒頭のシーンに続き、ここではその隣人の息子を殺した後に隣人の母親も殺しにかかる。母マリがこの人はわたしが殺したいと言っていたのでマリが包丁で殺し、とどめに次男ミノルが発砲する。その後菊池家とは縁を切ったという長女のところに警察が事情を聞きに行き、けれどなにも収穫無く警察は事件の真相がわからないまま舞台は幕を閉じる。

メモをとっていたわけではないので記憶頼りでしかないですがだいたいストーリーはこのような流れで進んでいたと思う。


実際にあった凄惨な殺人事件が題材ですが、作品のキーワードはむしろ「家族」だと思っています、との演出家の言葉通り今回のメインはミノルの心境と家族の繋がりについてだったように思う。長男ナオヤは実は父親が違い(マリは昔身体を売っていたので誰が父親かわからない)本人も薄々それに気がついている。実際クニオとマリと血が繋がっているのはミノルだけで、ナオヤが結婚したことによって菊池家を継ぐことになったミノル役の八乙女くんが過去のクニオを演じることもまたミノルの心境、クニオの心境を観客に伝えやすくしているのかもしれない。
家族、というものは一番繋がりあっているという固定観念があるけれど、それぞれがそれぞれを守ろうとして、それぞれが己を守ろうとして、実は一番近くて遠い存在なのかもしれないと思った。そして劇中で隣人を殺すということを、これは人殺しなんてレベルではない戦争だ、と言っていたがこのような小さな戦争はいまもどこかで繰り広げられているのかもしれない。


演劇のための演劇を作りたいわけではない。エキセントリックな演劇をアカデミックな演劇をひけらかして満足したいわけではない。生身の人間が生身の人間とコミュニケートしたいだけの話だ。舞台上に生きる人間の、穴という穴から漏れ出る生臭い汁を、観客と共にまみれたい。そんな苦虫を潰したような顔をしないで欲しい。慣れてしまえば大丈夫。シアターコクーンだろうが関係ない。泣ける作品でも笑える作品でもない。なんだかよくわからない生臭い汁が、観客の穴という穴から漏れ出たなら幸いだ。宣伝文句としては最低だが、それが僕の理想だから仕方ない。 赤堀雅秋


こんな話はドラマの中でしか見ないようなものだが、しかしこれは実際に起こった事件を元にしているのである。ある地方の、ある家族の、人生の一部を切り取ったものなのである。
家族って何なのだろう。正義って何なのだろう。まっとうに生きるって何なのだろう。そんなことを考えさせられる舞台だったように思えた。答えは出ない。考えることに意味がある。そんなことを教えてもらえた舞台だったのかもしれない。

そして笑える作品でもない、と演出家の赤堀さんはおっしゃってたがところどころクスクスと笑いが起こるシーンはあった。長男ナオヤ役で安西役であった大倉孝二さんが大倉孝二さんすぎて。いや、わたしのイメージでしかないのだけど笑いのキーマンは確実に彼であったように思えた。

それとどうでもいいことではあるけれど、平成のシーンでミノルは極太ズボン(あのぶかぶかのズボン)を履いているのだが昭和の炭鉱で働いているシーンでは半ズボンに靴下という脛の部分がよく見えるような衣装で、あの極太ズボンは太ってるから履くわけではないのだなと再確認(笑) それにしても八乙女さん細いね!←


どこが面白いだとかどこが楽しいだとかそんな舞台ではないけれど、お席はまだ空いているようだったからお時間ある方は見て欲しい。普段は考えることもないようなことを考えさせられる内容である。もうすぐ終わってしまうけど。



そしてここからは比較のお話。
今年に入って北山さんの愛の唄を歌おう、二階堂さん横尾さんの銀河英雄伝説、森田さんの夜中に犬に起こった奇妙な事件、そして殺風景と立て続けに舞台の観劇をさせてもらってるわけだけどやはり北山さんの舞台は女の子の声多かったなぁ、と。うーん…同じ年齢層の人が来てるはずなのになぁ、と。そして森田さんってすごいんだろうなぁ、と。演出もあるんだろうけど暗転なしの舞台セットも大きな移動なしの物語ってすごかったなぁ、と改めて。にしてもわたしメインとして見に行った人以外の俳優さんに惹かれすぎてる。愛唄では前川さんと大口さん、銀英では中村さん、夜中犬はさすがに森田さんに惹かれすぎたけど今回は大倉さん。舞台(特に外部)って目的の人以外にも素敵な方に出会えるところがコンサートと違う魅力だなぁとも思ったり。ファウスト行きたかったけどさすがにコンサートで破産するので我慢します。次の舞台は…三宅さんの炎立つに行けたらなぁと思っております。


以上長々とすみませんでした。