ひとりごと

ぐだぐだと思ったことを思ったままに

自分の中の価値観に迷わされている話。



ここ1年強ほど「佐久間担」と名乗ることについて、そこまで深刻に、というわけではないけれど2〜3ヶ月に1〜2回は頭に浮かんでくるレベルで悩んでいます。













わたしが、自分の中の価値観に迷わされている話。














そもそも「担当」って明確な定義があるわけではなく個々の価値観で決まってくるものだと思うので、まずはわたしの中の価値観を書くところから。






わたしの中でアイドルを応援する段階って3つあって、茶の間と、ファンと、オタク。



茶の間は、現場に行かず(外れて行けないとかじゃなくそもそも行く気がない)文字通りお茶の間でYouTubeとかTV番組とか雑誌とかそういうのを鑑賞するイメージ。

ファンは、茶の間よりかは足を動かしてちょこちょこ現場に行ったり映画とかがあればそこにも行ったりするイメージ。

オタクは、現場はもちろんお金も時間もガッツリどっぷり浸かって自分の中での最優先事項になるイメージ。


この中の オタク に区分される期間が「担当」を名乗る期間だというのが、自分の中で1番しっくりきている価値観です。
もちろん冒頭に書いた通り、これには明確な定義なんてなくて、わたしも誰かから聞いたとかどこかで読んだとかそんなことは全くなくて、自分がジャニオタやってきた中で自然と自分の中に確立された価値観ではあるので、人それぞれ線引きが違うということは理解しているし納得もしているし、違うことが当たり前だと思っています。

これはあくまでわたしの中の自分に対する今の価値観がこうなっている、というだけの話で。




わたしは自分でも自覚してるくらい自分のことを現場厨だ(った)と思っているんですが、最初にその階段を登ったのは2013年Kis-My-Ft2が京セラと東京ドームでやったSNOW DOMEの約束だったんですよね。
たぶん今でも自分の中で1番通った「ツアー」は2014年のKis-My-Journeyだと思う、というくらい一段階段を登ったらもうそこからは転げ落ちるように加速して現場厨の道を進んできたんですが、タイミングが良かったのか悪かったのか、すのに落ちたタイミングがちょうどその頃で。
だから佐久間くんを好きになった、そのタイミングがドンピシャわたしのオタク人生と価値観がガラリと変わったタイミングだったんです。

そしてそんなわたしの背中を押すように当時のSnow Manさんたちは現場が目白押しで、常に申込と当落とチケ業務と現場のどれか(または複数)に追われている状況で。

だからこそ余計に「佐久間担」としての価値観は現場が第一優先になっていったんだと思っています。






ただ、Snow Manがデビューして物理的に現場数が減って、さらに爆発的人気によりその少なくなった現場にも昔のようには行けなくなった今、どう頑張っても オタク じゃなくて ファン の領域に入っている気がしていて。



「お金も時間もガッツリどっぷり浸かって自分の中での最優先事項になる」
というのは別に現場だけに限った話ではなくて、TV視聴やYouTube視聴、雑誌購入も円盤視聴も入っているはずだから、あくまでわたしの中の価値観での話ではあるけれど、デビューして現場が減ったから オタク でいられないということは全くないはずで。

けれどわたしは今、自分が オタク の領域にいると言えるかどうかで迷っている。





「推し活」が一般的になりすぎていて、本当にどんな些細なことでも「推し」に繋げる風潮すら感じる現代でもなお「担当」という概念を持ち続けていることは、ある意味特殊なのかもしれないけれど、それでもわたしの中で佐久間くんは「推し」ではなく「担当」で。

なんだろうなあ、このあたりの感覚を言葉にするのはものすごく難しいのだけれど。



「担当」を名乗るにはそれなりの責任感が伴うと思っていて。オタクやってることってあくまで趣味でしかないけれど、それでも軽い気持ちで名乗れないというか。
わたしにとっては趣味でしかないけれど、彼らにとっては人生な訳で。それがわかっているからこそ、彼らの人生を応援するということは、SNSで「好き」だということを明言した状態でいろんなことを発信するということは、やはりそれなりの責任が伴うと思っていて。
だからこそ オタク の枠にいないと「担当」とは名乗れないと思っていて。










Jr.担をやっている頃って振り返ればいろんなことが明確で、目指しているものはデビューで、主たる応援は現場に行くことで、そういう面だけから見ると オタク をやることは結構簡単だった、わたしにとっては。

そりゃやっぱり不安感はいつも隣にいたし、焦燥感みたいなものも感じる時はあったし、あとはまあ地方民にとっては基本全ての現場が東京への遠征になるから金銭的にも体力的にも楽ではなかった、というのは事実だけれど。


でもやっぱりわたしにとっては今よりも簡単に オタク の枠にい続けられたなあと思います。






少クラ以外で地上波に出ることってそんなに頻繁にはなくて、だからこそ出演すれば「リアタイしてタグツイしてできればステマシートも作る!」みたいに意気込んでいたし。

ドル誌以外に掲載してもらえることもそんなに頻繁にはなかったし、表紙を飾らせてもらえることなんてもっとなかったから、だからこそ全てをしっかり把握してちゃんとテキストを読んでいたわけで。


現場以外のアレコレも自分比ではあるけれど、当時はまあまあちゃんとやれていた、と思っています。




でもそれが、デビューして供給が増えたことにより(というのは責任転嫁しているような気もするけれど)なかなかちゃんとはできなくなってきて。


すべては自分自身の怠惰だということはわかっていて、リアタイもタグツイも雑誌確認もラジオ視聴もブログ確認もYouTube確認も各種SNS確認も特典映像含めた円盤確認も、現場に行く以外にできる応援なんてたくさんあるし、現場がないからこそそういうことに時間を割けたらデビュー組が好きでも オタク の領域に入って「担当」を名乗れるんだろうなというのは自分でもわかっているんですが。(しつこいほど繰り返し書きますがあくまでわたしの価値観の中でのわたし自身の話)














動画とか番組とかそれこそダンスとかもちろん現場とか、佐久間くんの姿を見たら好きの気持ちが溢れ出してくるのはずっと変わらないしそこは自信を持って言えることなんだけど、「担当」を名乗るって、わたしの中ではそういうことじゃなくて。それだけじゃなくて。




デビューしてできることの幅は本当に増えたし、新しいことに挑戦させてもらえる機会も本当に増えたと思っています。それはもう本当に本当に実感していて。ただ、同じくらい出来なくなったこともたくさんあると思っていて。それは彼らの活動に対してだけじゃなくて応援しているこちら側にとっても。

デビューする時にある程度は覚悟はしていたけれど、やっぱり現実を突きつけられると複雑な感情が心から離れてくれないなあと実感しています。




ワガママなんだなあと思います。
夢が叶っている瞬間に立ち会えて幸せを感じている一方で、過去を思い出してしまう瞬間がある、過去を懐かしむ瞬間がある。
過去を思い出すこと自体は悪いことではないと思っているけれど、それで悩むのは避けられるなら避けたいことで。
「今より過去が好きだと思うようになったら、自分がターゲットから外れただけなので潔く離れる」とは決めているけれど、今それに当てはまっているかと言われたら当てはまらないなあと自分では思っていて。今の彼らも大好きだから。











なんか、そんな気持ちがずっとずっと頭と心の中をぐるぐるして、1年が過ぎました。

1年が過ぎてやっと、どこにも着地していないけれどとりあえず文章にまとめることができました。(まとめたと言えるのかどうかはさておき)

でも多分まだこの先も、しばらくはぐるぐるするんだろうなと思います。
















今回、自分自身に対する言い訳みたいなものをブログを使ってまで長々と書き並べたけれど、文字にして改めて思ったことは「色んなことが変わったけれどわたしの中で『好き』の気持ちは全然変わっていない」ということで。

自分にとって無理のない背伸びをしない範囲での応援していく、その考え方は今でもずっと変わらなくて。

でも、だから、だからこそ。

どういう接続詞をつけるのが正解なのかわからないけれど、今の自分の状況では「担当」と名乗るには烏滸がましくて。


自分の価値観の中の オタク になんとかして戻りたい、と思っているわけではなくて、今のこの状況で「佐久間担」と名乗って良いのかの答えが出ない。








でもこれだけははっきり言い切れると思ったことは、惰性じゃないってことで。
今、佐久間くんを好きでいることは、過去からの延長なんかじゃなくて、今、この瞬間「好き」だと思う。


でも「佐久間担」と名乗り続けていることは、過去からの延長でしかない気もしていて。







全てが想像を遥かに超えてしまっていたからなんだろうな、と思う。
こんなにもチケットが取れないグループになるとは思ってもいなかったし、色んな場所で色んな言葉が飛び交うグループになるとも思っていなかったし、4年目に入っても人気が衰えることなくびっくりするほどの人気が継続しているグループになるとも思っていなかった。




寂しい、のかもしれません。
「佐久間担」を名乗ることが烏滸がましいと悩むくらい彼らはものすごいスピードで大きな存在になった。………なってしまった。
まだこの感情は、上手く言葉にはできないけれど。



















うーーーーーーん、でも、デビューして3年目の1年間(ざっくり概算)このモヤモヤ感情が浮いては消え浮いては消えしてたのかと思うと、魔の3年目ここで来たか〜〜という気持ち(笑)

この感情消えてる期間はほんとに純粋にこの感情思い出さないくらい昔のままなんだけどなあ…



まあでも2020年は現場が皆無になっちゃって色んなこと考える余裕もなかったし(というか現場が皆無になったという状況にやられすぎてそれどころじゃなかったし)

2021年は徐々に現場が解禁されて久しぶりに生で会える喜びにワクワクしてたし

でもその喜びを思い出したからこそ、現実と自分の中の価値観とのギャップが2022年に一気に大きくなったというか実感したのかなあ。


そう考えると3年目だから、というよりかは、現場がなくなって、現場が復活して、その後だったから、なのかもしれません。




デビュー組担の現場数に慣れるにあたり、デビュー年の現場がなくなったことはある意味良かったことだと思っていて、それは今までのブログでも何度か書いてきたことではあるのですが。
でもそれが理由で本来はデビュー年に来るはずだった悩みが今来たというか、デビュー年にデビューに伴う何かしらの悩みがある、というのは過去に経験していたので覚悟していたけれどそんなに大きなものは来なくて。いや、悩みは確かにあったんだけれども、でも乗り越えられたから、だからわたしはデビュー年の悩みを乗り越えられたんだと思っていたけれどそうではなくて、その悩みは後ろ倒しになっていただけなんだなあと、今思っています。


















はてなブログの下書きを見ていたら、ちょうど1年前にも同じようなブログを書こうとして途中で挫折していて。
今回のブログも何度も挫折しそうになったし、今の気持ちを文字にするって思っていた以上に難しいことだったけれど、難しいからこそ文字にして整理しておきたいな、と思ってとりあえず形にしてみました。(前回挫折はしたけれど、その時の気持ちを書き始めていたからこそ今回「1年前からこの気持ちを持ち続けていた」ということに気がつけたわけで、そう言う意味では完成しなかったとしても気持ちを文字にして残しておくのは個人的には意味のあることだな、と思ったりした)


このブログは今抱えている気持ちの半分も言語化できていない気がするけれど、これが今の限界だという記録を未来の自分のために残しておきたいと思います。
















ただここまで長々とぐだぐだと書いといてアレなんですが「担当」を名乗れるかどうかはものすごく悩んでいるけれど、これから先もツイッターとかでは「佐久間担」という言葉は使っていくと思います。文字数的な関係と、読む方はおそらくそこまで気にしていないと思うので。
















最後にこれで締めるのもどうなのかと思うのでちょっとだけ文字の色変えていますが、「『担当』を名乗る」って日本語合ってるのかな(笑)
「『佐久間担』を(ここも を なのか と なのかめちゃくちゃ迷った)名乗る」とか「『佐久間担』と明言する」とかの方がまだしっくり来るんだけど、あんまりこの内容で「佐久間担」も連呼したくなくて、ましてやタイトルには入れたくなくて。
当初タイトルは「わたしは今「担当」を名乗れるのだろうか」にしようかとも思ってたんだけどちょっとこの疑問が払拭できなくて、かつ、問いかけが強すぎるかなと思ってやめたんだよね(笑)


まあでも「自担」って「自分の担当」という意味でわたしで言えば佐久間くんのことを指すわけだけど、「佐久間担」という言い方では「佐久間くんを担当している」自分(あるいは他のオタク)のことを指すわけで、「担当」って言葉にはアイドル側を指す意味もオタク側を指す意味も含まれているから、まあ合ってるっちゃ合ってるのかな…(笑)