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ひとりごと

ぐだぐだと思ったことを思ったままに

担降りについて考えてみた



わたしなんかがこのことについて文章を書いたとしてもただのぐだぐだ長文にしかならないだろうことはわかっているけれど世間の流行りに便乗してわたしなりの 担降り についてまとめてみたいと思います。
ちょうどきすまいからすのーまんに降りたくてぐらついてる今の自分が書くことも面白いと思うし。
ただわたしの考えというものは恐らく世間一般の考えではないと自分では思っているのでズレていると思われるかもしれませんがそのへんはこんな人もいるのかという感じで流してくださいませ。



そもそも 担降り とは自分の担当を変えるということで 担当 というのは応援していく人のこと。その 担当 についてわたしなりの定義付けをしないと担降りについては述べられないような気がするのでまず 担当 について少し書かせてください。
応援 とはいったいどのようなことを言うのでしょうか。現場に足を運ぶ、雑誌を買う、番組を見る、など 応援するということはこれだ という定義があるわけではありません。お金をかけなければファンとは言えないと考える人もいるでしょうしお金をかけなくても好きだという気持ちがあれば担当を名乗れると考える人もいるでしょう。そのどちらも間違っているとは思いません。どちらもファンとして堂々と胸を張れるとわたしは思います。ただ、最近 担降り がオタク人生の中で比較的大きなイベントと化している現状を見る限り今回わたしが担降りを語る上での担当とは
お金や時間を費やし生活の一部となりつつある人(あるいはグループ)
と定義付けて話を進めていくのが適切であるように思うのでこの文章の中ではこの定義の元に 担当 という言葉を使っていきたいと思います。


冒頭で述べたように 担降り とは 担当を変える ことであるので言い換えれば お金や時間を費やす対象を変える ということです。では対象を変えた後、元の対象は自分の中でどうなるのでしょうか。この点についてがおそらく今最も議論されている点であり、また、担降りを迷う人間の悩みの種なのだとわたしは思います。
わたしもいくつか担降りについて書かれた文章を読ませてもらいましたが 綺麗さっぱり忘れて新しい担当に全力を注ぐ派 と 思い出は残し割合は減るがお金や時間を費やし続ける派 のふたつに分かれる気がします。恐らく前者は後者を 担降りとは言えない と考えるのでしょうが担降りを迷う人は恐らく前者を実行できない不安があるのでしょう。わたしもその1人です。現場にもちょこちょこと行き続けCDやDVDも欲しければ買い見たい番組は見て、だけどメインでがっつり動く対象は別にいるので 担当 ではない。イコール降りた。それでもいいのならわたしはとっくに降りています。半年前に Kis-My-Ft2担 ではなく SnowMan担 になっているでしょう。しかしそれができていない現状がある。それは、わたしの中で 担降り というのは 前の対象を追いかけることはすっぱりきっぱりやめて新しい対象に全力を尽くす という認識があるからだと思います。

わたしがKis-My-Ft2の担当になった時、降りることなんて全く考えていませんでした。キス担やめる時はジャニオタをやめる時。その時はグッズ類はすべて手放す。そう決めていたんです。その考えが自分の中に根強く残りすぎているんだと思うんです。 Kis-My-Ft2からSnowManに降りる のではなく Kis-My-Ft2担をやめてSnowMan担になる という事ができないと担降りとは言えない。もちろんその やめる には ジャニオタをやめる のわたし的定義が適用されなければならないのですが。

わたしが社会人非経験者であるくせにこのような例えをするのもいかがなものかと思いますが Kis-My-Ft2からSnowManに降りる というのは同じ会社内で部署変えを行うのと近似できる気がするんです。今までの経験や知識を全てではないけれども使うことができ、かつ元いた部署に顔を出そうと思えばいつでも顔を出せる距離にいる。元いた部署の現状も比較的耳に入りやすいしもしかしたら数年後またその部署に戻る可能性があるかもしれない。社会人を経験したことがない人間の憶測での例えですがわたしの中のイメージではこんな感じなのです。一方 Kis-My-Ft2担をやめてSnowMan担になる というのは転職することと近似できる気がするんです。今までの経験や知識を全てではないけれども使うことができるというのは前者と大差ないと思うのですが、元いた部署に顔を出そうと思ってもすでにその会社の社員ではなくなってしまっているので顔は出しにくい。元いた部署の現状もほとんどが自分から行動を起こさない限りは耳に入らないだろうし会社をやめているわけだから元の部署に戻る可能性なんて全くと言っていいほどにない。繰り返しにはなりますがこれは社会人を経験したことのない人間の憶測による例えです。

転職するのには大きな覚悟とエネルギーが必要です。今の職をやめてまで新しい職につく必要性があるのか、後戻りできないとわかっている分決断をするのにも勇気がいるしその為悩む時間もたくさん必要になってくるでしょう。それでも今の職を続けるよりも違う職についたほうが自分の為になると判断できるだけの理由が新しい職にあり原因が今の職にある時に 転職 という選択肢を選ぶのだとわたしは思うんです。(4度目になりますがわたしは社会人非経験者です。)
 担降り をするのにも同じように大きな覚悟とエネルギーが必要です。しかし考えて考えて考えた上で新しい 担当 が 担降り で消費する以上のエネルギー供給をしてくれると判断した時に人は 担降りしよう と決断するのだとわたしは思います。

わたしの主観で現在の担降り文化を見るにどうやら 部署変え派 よりも転職派 の方が多い傾向にあるように感じます。冒頭で述べた 綺麗さっぱり忘れて新しい担当に全力を注ぐ派 と 思い出は残し割合は減るがお金や時間を費やし続ける派 はわたしの例えで言うと 転職派 と 部署変え派 に置き換えられ、最近よく見られる 担降りしましたブログ を書く方々は完全に転職派の人が多い印象があります。

わたしがジャニオタの一員になったのは今から約7年半前の出来事ですがその頃は 神担 や 殿堂入り という言葉がそこら中で使われていた記憶があります。今はもはや死語となっているのでしょうが今考えるとこの言葉の使いやすさというかありがたさというかがよくわかります。降りる というよりも今までの担当を 上げる という考え方。これは 部署変え派 であり、現在の 掛け持ち に類似する気がします。今よりも確実に簡単に 降りる という行為を行い 担降り がそこまで行事的ではなかった時代。
年月が経つと 流行 も 習性 も大きく変わるものなのですね。


最後に、わたしがここまで 担降り するかしないかで悩んでいるのはわたし自身の性格もあるのでしょうが グループを超えている という点も理由の一つなのだと思います。わたしも過去に数回担降りの経験がありますがジャニオタ入口であった知念さんを3ヶ月で降りた後Kis-My-Ft2に落ち着いてからは北山さん(8ヶ月)玉森さん(5年)にかたま(1年)二階堂さん(現在8ヶ月)とすべてグループ内で降りているんです。それでも玉森さんから二階堂さんに降りる際は2009年末から2013年5月5日に掛け持ちになるまで約3年半ですか、悩みましたし年月を重ねるごとに離れにくくなっていくのだろうなという感覚はあります。そう考えると掛け持ち期間を含めて約1年半しか担当枠に入れていない二階堂さんから降りるのは玉森さんから降りるのよりもエネルギーを消費しない気がするのですがそこはグループ外であるということが大きく影響しているのだと思います。グループ内の担降りの場合はどちらかというとやはり 部署変え型 に近いですから元担の現状なんて気にしなくても耳に入ってきますしね。

まとまりがなくなってきたのでそろそろ終わりにしたいと思いますがやはりぐだぐだ長文になってしまいました。 担降り報告 のブログは 新しい担当との出会い から始まり 元担を離れる理由とその葛藤、そして新しい担当への期待 がたくさん詰まっているので読んでいてとても楽しい文章です。わたしもいつかその時が来たら 担降り報告のブログ を書こうと思います。お金や時間を費やし生活の一部となりつつある人(あるいはグループ) を考えるとその いつか はすぐそこまで来ている気がしたりもしますが…