ひとりごと

ぐだぐだと思ったことを思ったままに

2024.09.27


あの日、わたし的千穐楽のDREAM BOYSのSHOW TIME、キミとのキセキで佐久間くんの高速ウインクを見た瞬間に Snow Man 佐久間大介 の虜になってから10年が経ちました。











10年。










Snow ManがまだJr.だった頃、とあるメンバーの担当の方が「担当になって10年が経った」というブログを書かれているのを読んで、こんなにも同じ人を応援し続けられるなんて凄いなと純粋に感動したことを今でも覚えています。


気づいたら10年と言うには長すぎるけれど、でも、あのブログを読んだ時に果てしなく先だと思っていた未来よりかは近かった。





あの日から今日で丸10年になりました。












デビュー4年目、2023年に実施したドームツアー i DO MEで割とこう自分の中で大きな区切りがついた感覚があって、デビュー後初めて 満足した と思えたというか。
入れた回数もそうだし、席もそうだし、何より内容が好きだったんだと思っています。

RAYSの日程が出て、後半全部平日でなんなら大阪公演は年末すぎるほど年末の平日3日間で、最初から諦める公演が多すぎたけどそれでもそんなにメンタルには来なかったというか、どう頑張っても仕事調整できない日程だし潔く諦められたというか。
それもこれも去年満足して自分の中で一区切りつけられたからなのかなあと思わなくもない気がしていて。











今のわたしは「おたく」なんだろうかと1年半前に書いた自分のブログを思い出したのは映画マッチングがいろんな映画館で上映終了し始めた頃で、そこからぐるぐると考えていたけれど、「元担」みたいな感覚になってるんだなという結論にたどり着いたのが5月頃。



降りたい、という気持ちはもう2年くらい前からあって、それは佐久間くんが嫌になったからとかそういうことじゃなくて、やっぱり長年現場がメインでおたくをしてきたわたしにとってデビュー組担は続けるのが難しいなあと思ったからで。
でも今のJr.の活動内容では、わたしが魅力だと感じるあの頃と同じようなJr.担にはなれないなと思って降り先が決められず、すのの現場に行けばやっぱり佐久間くんが好きだなと思うから完全に離れることもなく、今のJr.の担当になるのはわたしには無理なんだなという結論に辿り着いて。

Snow Manのデビューが決まった時、わたしのことを知っている友だちみんなから次は誰に降りるの?って聞かれたけれど、わたし自身も誰かに降りると思っていたけれど、でもなんだかんだデビューして4年半、まだ佐久間担を続けています。



1年半前のブログで「佐久間担を続けているのは惰性ではない」と書いたけれど、それは今でも変わらず持ち続けている感情で。

「現場に行く」だけならきすまいもふぉゆも基本毎年何かしらには行ってるし、単発で良いならとらじゃもせくぞもえぇもお邪魔してるし、今年はSHOCKも各劇場で行ったし、でも、Snow Manは「回れるなら回りたい」の気持ちがまだあって。どう頑張ってもJr.の頃のように毎月現場がある状態にはならないし常に次の現場が決まっている状態にもならないし前回から今回のツアーは1年半もあいたし8月に朗読劇があったとは言えなかなかモチベ保つのも難しい状況ではあるけれど、でも、ここまで10年好きで居続けてきたから好きなんじゃなくて、今の佐久間くんが好きだから今でも佐久間担なんだと思います。


「元担」と「担当」の間のような感覚なのかなあ。現場がなくてモチベだだ下がりでもうこれおたくじゃないなって思う期間も長いけれど、現場決まってから終わるまでの間は担当の感覚が戻ってきていて、都合の良い方にふらふらいっている感覚。





現場行った時にレポを書くのは未来の自分のためでしかなくて、
メモとりながら双眼鏡覗き続けるのも、公演直後の自分にしか読み取れない文字見ながら書き起こすのも、大好きだし楽しいんだけれど、でもやっぱり相当な体力とそれなりの時間は費やすことになるわけで。
その時自分が見た景色とか忘れたくないなと思ったこととかをいつでも鮮明に思い出せるように、その時の自分の言葉で残しておくのがわたしにとってのレポブログの存在意味なので、その時その場で楽しむことさえできたらそれでいいやと思うようになった時に、レポブログは書かなくなるんだろうなと思います。

コンサート入って 文章にして残しておきたい という気持ちがあるうちは、まだギリギリ担当を名乗れるのかな。














この10年、本当にいろんなことがありました。
一生忘れないだろうなという一瞬の出来事も何個かあるし、もう忘れてしまった感情も忘れられない感情もたくさんあります。

10年前大学生だった佐久間くんはもう32歳になっていて、学生だったわたしも社会人◯年目になっていて。

昔は本当に頑張っていたなあと自分のことながら思います。
年間200以上の現場があるグループで、そのほとんどが東京で、コンサートよりもチケ代の高い舞台で、地方住みの学生にとっては本当にいろいろと死活問題で(笑)
多いと月2〜3回東京に行くこともあって、結局夜行バスは2019年のたまアリまで使っていたし、ホテルだってちょっと遠くても安いところに泊まっていたし、そういうところのやりくりはほんと大変だったけれどあの頃の体力があったからこそ乗り切れたんだと思うと、やっぱり現場狂いのJr.担はあの時期しかできなかったのかなあとも思います。
常に必死だったけれど、本当に楽しかった。あの数年を経験できて良かったなと思っています。
わたしの一生の宝物。



10年間、Jr.時代もデビューしてからも良いことも嫌なことも全部ひっくるめていろんな思い出があって、その全てがわたしの人生経験になっていて、だから、佐久間くんは、Snow Manは、わたしの人生の一部だと言えるような気がしています。






10年前の今日、帝国劇場で佐久間くんに双眼鏡合わせていなかったらわたしは佐久間担になることはなかったし、全く違う人生を歩んでいたんだと思います。
その人生はその人生で楽しかったのかもしれないけれど、わたしは今歩いているこの道に十分満足しているから、あの時この道に進む判断をして良かった。

あの頃から考えたらゆるゆるのおたくになってしまったけれど、数年前から書き続けているように完全に隠居の身だと思っているので、わたしはわたしのペースでこれからものんびりゆるゆるマイペースに応援していきたいなと思います。





たくさんの人に愛されていろんなことに挑戦して輝き続けている佐久間くんをこの先も応援できますように。





11年目もどうぞよろしくお願いいたします。